馬と徳さんと僕。遠野市QMCHへ導かれた話。

年の瀬に飛び込んできたフェイスブックでの

遠野市のクイーンズメドウカントリーハウスさんからの助っ人の募集。

 

【厳冬期の年末年始をクイーンズメドウで過ごすハードな仲間を募集します – ジョークのような本気のお誘い -…

クイーンズメドウ・カントリーハウス(農業法人 株式会社ノース)さんの投稿 2018年12月24日月曜日

 

それを見た瞬間、「誰か」にぜひ行って欲しい!!と、

「誰か」に向けて記事をシェアしておきながら、

その後すぐに、僕が行きたいのかも…

と思ってしまい、自炊と体力に不安を覚えながらも、

僕でもいいですか?と連絡をしてしまいました…。

 

もし行きたかった方がいたら申し訳なかったのですが、結局僕が行ってきました。

ということで年末、真冬の遠野へ、行って参りました。

 

 

日程の調整をしてもらい12/28の早朝に出発し、大晦日まで。

軽トラで極寒の遠野へ、馬と瞑想。

 

 

足がつるかもしれませんが。

少しでもお役に立てますように、と願いながら。

お馬さま、よろしくお願いいたします。

 

 

ここに居るのは僕と馬だけ。

ただ、ここに居るだけ。

彼らもただ、ここに居るだけ。

それがこの上なく心地いい。

 

 

宝くじに当たった気分です。

 

 

初日の夕方からすでに一人でベロンベロン。

 

 

明日からは、ちゃんと働きます。

 

 

クイーンズメドウ•カントリーハウス

ここは一度は来ねば、です。


http://qmch.jp/

 

そして翌日、あっという間の作業初日が終了。

そして、まさかの馬に乗る。

 

 

そして、まさかの落馬(ずり落ち)…痛い、まじでイタイ…

 

 

落ちた瞬間、もう二度と乗るかっ!!

と思ったけど、

悔しいから、またすぐ乗る。

 

 

夢だったんじゃないでしょうか?という一日。

天下の大将軍になった気分です。

濃密すぎて語り尽くせません。

 

 

建築も馬も暮らしも。

QMCH、たっぷりと堪能。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一応、きちんとお仕事?もしておりました…。

 

 

遊ばせてもらってるだけか…

 

 

感謝、ありがとうございます。

 

今回のクイーンズメドウカントリーハウス修行を終えて、

感じたこと、学んだことを。

 

馬を「使うこと」をやめた徳さん。

乗馬の際などにはハミという金属製の棒状の道具を口に含ませ、

それに手綱を繋ぎ、馬をコントロールするのが通常、なのだそうです。

初めて馬に触れる機会がここ、クイーンズメドウだった僕は、

そんなことも知りませんでした。

 

手綱で口に刺激を与えることにより、

繊細でかつ複雑な制御を可能にした人間の発明品。

 

馬の気持ちは、馬に聞いて見ないと分からないのですが、

どうやらこの刺激、痛い、ようなんです。

口の中の敏感な箇所を狙って刺激を与えているのですから、

きっと痛い、のでしょう。

痛い、からよく言うことを聞いてくれるのかもしれません。

 

痛み、すなわち恐怖。

これは僕の最も苦手とするものです。

子どもの頃から大人になってもそうなのですが

恐怖により強制されたことには最も強いストレスを感じてきました。

 

その力は強いため、それに従うことにより、

ある程度の結果は出るのかもしれません。

しかし、そのパフォーマンスの上限は

恐怖を与える人の範疇の中にとどまっていた気がします。

 

それ以上でも、それ以下でもない結果。

期待通りの結果、でも期待以上ではない結果。

いや、むしろ期待よりちょっと及ばない結果。

 

なぜなら恐怖を与えられ、強制された僕の最大の目的は、

これ以上の恐怖を与えられないようにすること、だったからです。

 

逆に安心できる環境でやらせてもらえたこと、

自分の意志でやれたこと、

それは自分の想定を超える結果が出ることがありました。

それは何も「枠」を用意されなかったから。

 

大きな安心感の中で、ある程度の緊張感を保ちつつ、

自分の責任の範疇で、自由に羽ばたくことができた。

それが自分でも想定していなかったような結果を招いた要因なのではないか?と思うのです。

 

馬を「使う」ことをやめるということ。

 

それを言ったら牛や豚や鶏などの家畜はどうなんだ?

魚は?虫は?かわいそう…

と思うのは目に見える直接的な暴力や強制だけでなく、

人間の営みによる間接的な動植物への影響による暴力はどうなんだ?……

という議論に入ると迷宮入りするので、それはひとまずさておき。

その事実を知ってしまった僕には

どうしてもワンピースに出てくる

人間や人魚を奴隷扱いする「天竜人」を想起してしまい

違和感を感じてしまうわけなのです。

 

もちろんそれにより生計を立てている方もたくさんいるわけで。

もちろん何も知らない僕よりもそれを承知の上で、

感謝の上でそうしている方たちもいるわけで。

何よりも牛肉も豚肉も鶏肉も馬刺も大好きな自分もここにいるわけで。

競馬も見て思いっきりはしゃいでみたいし、

キングダムを読んで敵をなぎ倒す

中国の将軍にも憧れるという自分もいるわけで。

全ての方に感謝、ということは変わらないわけなのですが。

 

でもここに、遠野に、馬を「使う」ことをやめる、

という選択をした徳さんがいたわけです。

 

ハミも、鞍もない裸馬にまたがり、

ちょっとしたサインだけで馬に意志を伝える。

「使う」必要がないので、その目的もなく、

まるで自分の足と一体になったかのように意志を馬に伝える徳さん。

はたから見ると、あまりに自然なその関係性。

 

そうなってくると、徳さんは何のために馬を育てているのか?

一体、ここで何をしたいのか?

 

東京のセミナーで徳さんのお話しを聞いた

誰もが持った疑問、誰もが聞きたいと思った質問かと思います。

 

もちろん僕も例外ではなく、それを確かめるためにも今回遠野に行ってみたわけでもあるのですが…

やはり、その答えは……到底分かりません…。

自宅にも誘っていただき、夜中まで呑んだくれたその晩にも、

結局最後までその質問はできなかったわけですが……

今思えば、そもそもその質問自体にも意味がなかったのかもしれません。

 

なぜなら、おそらくその理由は「無い」のではないかと思うからです。

それは親や里親になった方に、

自分の子どもを授かった理由を聞くようなもの、のような気がしたからです。

 

…あくまで僕が思うに、です。

あとでそれは違う、と言われるかもしれませんが笑。

遠野からの帰り道の長〜い高速道路で、そう思ったのです。

 

馬が暮らしの一部。

子どもが暮らしの一部。

家族が、一人が、暮らしの一部。

それでいいのかな?

 

愛情表現や感情表現が素直じゃない僕。

特に身内には苦手な僕。

遠野に来て、犬や猫みたいに素直に感情を表現してくれるわけでもなく、

ただ淡々と遠くを見つめている馬。

その隣に佇んだときに、なんだかすーっと肩の力が抜けて、

この上ない心地良い空気が流れたことを感じました。

 

ただ、ここに居るだけ。

彼らもただ、ここに居るだけ。

ただそれだけ。

それでいいんだな、と。

 

謙虚に、ただ淡々と。馬のように笑。

感謝、ありがとうございます。

 

年明け早々、つらつらと。失礼いたしました。

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

おやすみなさい。

 

馬と徳さんの暮らし。

ぜひ、ご一読下さい。
http://www.bionet.jp/columns/horse-queensmeadow/

 

 

また師匠が一人、できました。

徳さん、ありがとうございました!

また仲間を連れてきます!

 


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